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タイ・ラーマ5世、1874年8月21日に奴隷制度廃止へ向けた法を公布

タイ・ラーマ5世、1874年8月21日に奴隷制度廃止へ向けた法を公布を描いたAIイメージ

1874年8月21日、シャム(現在のタイ)でラーマ5世が、奴隷の子などを対象に身代金を年齢に応じて減らす法律を公布した。即時の全面廃止ではなく、制度を段階的に解消するための出発点となった措置と、その後の法改正とのつながりを整理する。

1874年8月21日に公布された「子奴隷」のための法律

タイ政府広報局のRadio Thailandによると、ラーマ5世(チュラーロンコーン王)は1874年8月21日、「พระราชบัญญัติพิกัดกระเษียรอายุลูกทาสลูกไทย」を公布した。日本語では、奴隷の子とタイ人の子の年齢に応じた身代金の基準を定める法律と位置付けられる。

この法律は、王が即位した1868年以降に生まれた奴隷の子などについて、年齢が上がるにつれて身代金を減らし、21歳で奴隷身分から解放される仕組みを設けた。対象者を世代で区切り、時間をかけて自由身分へ移行させる制度だった。

一度に廃止せず、制度を段階的に変えた背景

当時のシャムには、債務などを背景に奴隷となった人々を含む制度が存在していた。Radio Thailandは、奴隷を使用していた層だけでなく、奴隷となっていた人々にも生活の変化への不安があったとしており、急な制度変更を避ける必要があったと説明する。

1874年の法律は、奴隷制をその日に全面撤廃したものではない。しかし、奴隷の子が親と同じ身分を無期限に引き継ぐ状態を改める方向を法制化した点で、後の廃止政策を支える重要な段階となった。

1905年の奴隷廃止法へ続く改革

タイ政府広報局は、ラーマ5世の治世下で奴隷制度に関する規則が段階的に見直されたとしている。その後、1905年4月1日には「奴隷廃止法・ラッタナコーシン暦124年」が施行された。

同法は1874年の措置に続く改革として位置付けられる。1874年8月21日は、タイの奴隷制度廃止をめぐる歴史を考える際、長期的な法制度改革が始動した日として記憶されている。

出典・参考

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